ROK-SEY
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「第22回 ROY AYERSの60年代縛り」
初めての方には、そ知らぬ顔でこんばんは!。このコーナーもようやく復活です!。「復活です!。」と言っておけばポジティヴに聞こえたりしますかね。ここは只のズル休みも「復活!。」と。一人ですけど「再結成!。」みたいな。ちなみに90年代前半のアイドルグループで正式に解散したのはCoCoだけなんですって!。ん。解散の話はしてないか。一人ですし。と言う事で、まずはお詫びからはじめさせて頂きます。お腹の底から申し訳御座いませんでした。そして、ではでは、お久しぶりながら宜しくお願い致します!。

今回はROY AYERSというアーティストでお願い致します。いきなり日本版Wikipediaさんから全文持ってきてみましょう。

ロイ・エアーズ(Roy Ayers、1940年9月10日 - )はアメリカのジャズミュージシャン、ヴィブラフォン奏者。自身のバンド、ユビキティと共にジャズとファンクを融合させた音楽を生み出す。その独自性はアシッドジャズやレア・グルーヴ、ヒップホップに関わる人々に再評価されている。カリフォルニア州ロサンゼルス出身。5歳の時にライオネル・ハンプトンにマレットをプレゼントされた事により、プロのヴィブラフォン奏者を目指す事になる。

これだけでしたー。でもディスコグラフィーはしっかりしておりました。御参考くださいませー。

ウィキ先生も仰ってるようにアシッド・ジャズやレア・グルーヴ、そしてヒップホップ・シーンでも評価が高く、そしてネタモノも多く。客演としてはGURUのアルバムを皮切りに多くの作品に参加しています。もちろんハウス・シーンでも数年前にはBAH SAMBAとの共演だったり、BBEからの未発表音源がハウス・リミックス含めてリリースされてたりとしております。NUYORICAN SOULとか4 HEROとかへの参加も含めて、一言で言ってしまえば「ダンス・ミュージック」のアイコンとでも言ってしまえるかもしれません。ROY AYERSのその辺りについてはWAXPOETEICSさんの日本版創刊号の「VOL.1」に詳しくありますのでご覧くださいませ。インタヴューを中心に色々なお話やディスク紹介がたっぷりと載っております。ん。今買えるのかな?。その中で「ヒップホップてのは最高だぜ。なんにもしなくても金(ライセンス料)が入ってくるからな。ただ無断サンプリング。お前はダメだ。」(資料未確認)みたいなコメントがちょっとナイス。でも極貧生活を余儀なくされていたみたいですからね、多くのジャズ・ミュージシャンは。ジャズで食べていくってのはほんとに大変なんすね。ほんとにさ、一部の石頭マニアとか堅物評論家さんのために音楽やってんじゃないのよ。ってROYさんが言ったかどうかは知りません。僕の心の声でもありませんよ。

で、ですね。このようにクラブ・シーンでも特に人気の高いROY AYERSなのですが、評価の対象になるのが主にPOLYDOR移籍後からの作品、70年代以降がメインとなっています。自身のバンドであるUBIQUITYを結成してジャズからファンク / フュージョン路線へと舵を切り出すのですが、まぁ、この辺りについても最高なんで機会があればまたいつか。「COFFEY」のサントラやFELA KUTIとの共作、プロデュサーとして世に送り出したRAMP (ROY AYERS MUSIC PRODUCTIONSの略、というのが一般的なのですがROY AYERS MUSIC PROJECTの略という説もあったり)、そして80年代に自身が起こしたレーベルUNO MELODICからのEIGHTIES LADIESやSYLVIA STRIPLINなんかもあります。でもこの辺りは自分よりも適任の方がいらっしゃるような気がして憚りつつも、まぁ、機会があればまたいつか。ネタ切れ進行が故の、まさかの次回だったらごめんなさい。

で、今回はお題にもありますように「ROY AYERSの60年代縛り」です。ROY AYERSはお父さんがトロンボーン・プレイヤー、そしてお母さんがピアニストという家庭に産まれます。お姉さんもピアノを演奏していたそうです。そして、まず彼が手にした楽器はギター。高校で音楽を学ぶと共に、VI REDDの叔母(伯母?)さんからピアノを習っていました。ピアノは自身の母から習っていたとのお話もありつつ、ヴィブラフォンについては全くの独学で、彼がヴィブラフォンに興味を持ったのはMILT JACKSON、CAL TJADERのプレイを聴いてからだそうで。先にも書きました「5歳の時にライオネル・ハンプトンにマレットをプレゼントされた」というフレーズは随所で美談の様に語られますが、彼がヴィブラフォンを始めたのは58年、17歳。「あれれー?。多分貰ったマレット関係ないんじゃないかなー?。」なんて、子供探偵の声が聞こえてきそうなお年頃です。しかし、20歳前後では既にCOLTRANEを意識したプレイ、というその筋ではWALT DICKERSONを先鞭としたスタイルとなって行きます。初デビューはロスのブラック・オーキッド・クラブというジャズ・クラブ。吹き込みデビュー以前よりCURTIS AMY、TEDDY EDWARS、LEROY VINNEGAR、HERBIE LEWIS、PINEAS NEWBORN、VI REDD、JAKC WILSON等のバンドに参加し、自身ではアフロ・キューバンのバンドを持っていたようです。ソロやサイドでの参加で録音も残しながらCHICO HAMILTON, HAMPTON HAWESバンドにも在籍し、GERALD WILSONのORCHESTRAに参加。CHICO HAMILTONバンドのメンバーとして初来日もしています。そして大きな転機は当時のスター、HERBIE MANNのバンドに招聘されたことです。前任のプレイヤーの代役とのことですのでDAIVE PIKEあたりかな。HERBIE MANNの所属するアトランティックに移籍し、HERBIE MANNバンドとして多くの録音、日本企画盤も残しています。そして、当時無名にも等しいメンバーを集めUBIQUITYを結成し、POLYDORからアルバムをリリースするのが72年となります。

この頃のウェスト・コーストでは、VICTOR FELDMAN、BOBBY HUTCHERSONというヴィブラフォン・プレイヤーがおりなかなかの激戦区でした。バップ期、ポスト・バップ期には名声的には彼らに軍配が上がるかもしれませんが、後のフュージョン、ソウル期においてはROY AYERS圧勝です。でも待て待て。待ってくださいませ。ROY AYERSの60年代作品。いわゆる「ど」が付くほどのジャズ作品ですが、スルー出来ないでしょ。というのが今回のお題目です。なかなか彼のバイオでもすっ飛ばされがちな60年代を掘り起こしたく。と、ROY AYERSのキャリアの始めの60年代のお話でした。

以下に幾つか御紹介させて頂きます。PACIFIC JAZZやATLANTIC期のこの辺りのブラック・ウェストコースターズなジャズ作品が大好きなんですよね、自分。ちなみに「ブラック・ウエストコースターズ・ジャズ」ってのは僕の造語です。今作りました。すみません。

はい!。ではでは!。ご静聴ありがとうございました!。




VI REDD / BIRD CALL (UNITED ARTIST - 1962)

女流サックス奏者、ヴォーカリストのVI REDDがCHARLIE PARKERに捧げたアルバム。ROY AYERSはほぼ全ての楽曲に参加していて「PERHAPS」ではテーマとファースト・ソロも任されております。彼女の歌も良く「SUMMERTIME」が好きでDJで掛けたりもします。ROY AYERS最初の吹き込みなのかな。
CURTIS AMY / WAY DOWN (PACIFIC JAZZ - 1962)

この時期のROY AYERSの後見人的な方、サックス奏者CURTIS AMY。メンバーはVICTOR FELDMAN、MARCUS BELGRAVE等の三管にヴァイブ。この時期の彼のクレジットが「RON AYERS」になってるんですけど、誤植ではなくその様に名乗っていたのでしょうね。クソかっこいいワルツ「LIBERIA」など。
CURTIS AMY/ TIPPIN’ ON THROUGH (PACIFIC JAZZ - 1962)

CURTIS AMYのライヴ盤。メンバーは先の「WAY DOWN」の縮小版的な二管セット。AMYのオリジナルは2曲あって1つは「FUNK IN THE EVENING」というブルース。そして「FOR AYERS ONLY」という愛されナンバーを頂いてROY AYERSのヴァイブもスウィング。ここでもクレジットはRONですね。
ROY AYERS / WEST COAST VIBES (UNITED ARTISTS - 1963)

ROY AYERSのファースト・アルバム。メンバーは盟友JACK WILSON、CURTIS AMY等。オリジナルの楽曲は2つでワルツの「RICALDO’ DILEMMA」が良いです。そしてJACK WILSONがEARL ANDERZAに提供した「OUTA SIGHT」を取上げています。どちらもAMYのソプラノと共にもモーダルな楽曲。
THE JACK WILSON QUARTET / THE JACK WILSON QUARTET (ATLANTIC - 1963)

60年代に長く一緒に活動するピアニストJACK WILSONの初リーダー録音。ブラジル好きの彼らしい「CORCOVADO」のカヴァーや、お得意の早弾き系「JACKLEG」、長尺で上品なワルツ・ナンバー「NIRVANA & DANA」は、以前第二回でKIRK DIGIORGIOのお気に入りとして紹介させて頂きました。
GERALD WILSON ORCHESTRA / ON STAGE (PACIFIC JAZZ - 1965)

ウェスト・コーストのミュージシャンを集めたGERALD WILSONのビッグ・バンドで、ROY AYERSのヴァイブも大きくフィーチャー。HUTCHERSONやFELDMANも招聘されていた期間あり。「RICARDO」というモーダル・ワルツ。GERALD WILSONの義理の息子がSHUGGIE OTISという薀蓄を1つ。
JACK WILSON / PLAYS BRAZILIAN MANCHINI (VAULT - 1965)

タイトル通りのMANCHINIの楽曲をボッサ・カヴァーしましょう。というアルバム。ROY AYERSは色を添える程度かな。メンバーはCHICO BATERA、SEBASTIAO NETO、TONY BRAZIL名義で参加のANTONIO CARLOS JOBIM。アルバム通してのボッサ・リズムなので単調と言えば単調。そしてお上品。
THE JACK WILSON QUARTET / RAMBLIN’ (VAULT - 1966)

ジャケ裏のライナーではWILSON  AYERSの双頭バンド的なを紹介されています。COLEMANの「RAMBLIN’」、COLTRANEの「IMPRESSION」等を取り上げつつ「SANDPIPPER」をオーケストラルにカヴァー。「SIDEWINDER」もパワフル、WILSON節全開のジャズ・サンバ「PENSTIVA」も最高。
JACK WILSON / SOMETHING PERSONAL (BLUE NOTE - 1966)

JACK WILSONはこの盤でROY AYERSと袂を分かちます。続盤は「BLUE NOTEにメンバーを無理やり決められたから嫌い」みたいなことを言ってるので色々あったのでしょうね。勿論全編にROY AYERSのヴァイブ。CHARLES WILLIAMS JR名義のBUSTER WILLIAMS参加の2曲が妖しいです。
ROY AYERS / VIRGO VIBES (ATLANTIC - 1967)

CHARLS TOLIVER、JOE HENDERSON、HAROLD LAND、JACK WILSON、BUSTER WILLIAMS等。「THE RINGER」はほぼ同時期にTOLIVERも取り上げていた楽曲。オリジナルの楽曲も幾つか取り上げていますがオーソドックス・スタイルな好曲。「VIRGO RED」というアルバムも作る彼は勿論乙女座。
ROY AYERS / STONED SOUL PICNIC (ATLANTIC - 1968)

LAURA NYROのタイトルと陽気なジャケットでライトな先入観を持ちがちですが、スピリチュアル・ジャズ路線で言えばROY AYERSの最たる盤。CHARLES TOLIVER、GARY BARTZ、HUBART LAWS、HERBIE HANCOCK等。TOLIVERの「LIL’S PARADISE」やワルツ「WHAT THE PEOPLE SAY」 など。
ROY AYERS / DADDY BUG (ATLANTIC - 1969)

HERBIE HANCOCK、BUSTER WILLIAMS、JEROME RICHARDSON等。この頃のATLANTICはイージー路線とポスト新主流派路線がアルバムに半々で入ってるのがお約束なのですが、この盤もJOBIMやBACHARACH、LAURA NYLOなんかのカヴァーが入ってます。一曲と言われればタイトル曲の「DADDY BUG」。
ROY AYERS QUARTET / ALL BLUES (COLUMBIA - 1969)

HERBIE MANN来日時にROY AYERSは3枚録音しています。HERBIE MANNが権利の関係から参加出来ないとの理由で、アルバム1枚(こちらは不参加ながらもHERBIE MANN名義)と45回転12インチを2枚。このアルバムに収録の「ALL BLUES」カヴァーがフリーキーなアレンジで凄くカッコイイのです。
HARBIE MANN / MENPHIS UNDER GROUND (ATLANTIC - 1969)

ROY AYERSのHERBIE MANNバンドでの録音は幾つもありますが、最後に締めと言うことでHERBIE MANNの中でも最大のヒット・アルバムとなった「MENPHIS UNDER GROUND」です。正直、このアルバムに対して一家言も過言も持ち合わせていないのですが、HERBIE MANN好きなんですよ。結構。



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▼編集後記

オルガンバー所属。常連。ヒロセダイスケ。


こんな遅筆でもコーナーを残しておいて頂いておりますオルガンバー様に感謝です。冒頭を使って何にも中身の無いことを言って「復活だぁ!」とか言っております小生。引きこもり。いや、別にズル休みと言うわけではないのですが、申し訳ございませんでした。これからはもう少しテンポ・アップして書かせて頂ければと存じます。ROY AYERSの60年代の作品といえば、他にLEROY VINNEGERのアルバムで数曲だけ参加してるもの、HERBIE MANN諸作、HERBIE MANN名義ながらHERBIE MANN不参加の日本企画盤、あとはこちらも日本企画のROY AYERS QUARTETのもう1枚。くらいでしょうか。これらは手持ちが無いのでこの度は見送らせて頂きましたが、他にもありましたら教えてください。おっと、プロフィールが少し変りました。しかしながら変らずオルガンバー所属で今後とも宜しく頂ければ幸いです。何卒。クレタケビルの壁の染みより愛をこめて。
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